<RYT200 インド ヨガ留学> Hachimitsu goes India

ヨガを始めて半年の初心者がインドでRYT200に挑戦

ただそこにある感謝

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<Maroubra Beach, 2016>
僕が初めてヨガのクラスの参加したのは1995年だったと思う。オーストラリア シドニーのMaroubra Seals Clubというところで。あのころ、毎日が輝いてた。日の出前にヨガして、サーフィンして、ビーチや岩の上を歩き、太陽の下で本を読み、日没前後の変わりゆく空の色を海から眺めた。Maroubra beachは南東に向いてる。だから太陽は海から登ってCity側に沈む。風がないスーパー朝1を好むサーファーが多い中、僕は日没前後のマジックアワーが一番好きだった。空が、オレンジ、ピンク、紫色、深い紺色とほんとに奇跡的なグラデーションを見せてくれるから。そんな特別な時間に海にいると、波が小さくても、乗れなくても、みんな笑ってる。幸福感なのか恍惚感なのかよく分からないけど、体が、細胞が、感覚が、心が、勝手に嬉しがる。笑顔しかない。誰かと話すわけでも、何かをするわけでもなく、ただサーフボードの上でパドルするだけで、右手で水をかき左手を前に伸ばす、左手で水をかき右手を前に伸ばす、たったそれだけでこれ以上ない純粋な喜びが全身を包む...。
そのヨガの先生はByron bayの出身だからもちろんサーフィンもする。今でも。ジェリーロペスもオッキーもそうだけど、ヨガしてるサーファーは多いと思う。あの頃の僕はヨガのクラスは数回しか受けなかったけど、毎日がヨガ的だった気がする。サーフィンができてもできなくても海の近くにいたし、出かける時の持ち物が部屋のカギだけだったり、お店や空港に裸足で行っちゃたり、スーパーで買い物する時お金払う前に食べちゃったり飲んじゃったり。生き方が「感覚的」だったっていうと大げさかもしれないけど、少なくても他人の評価からは今よりずっと自由だったし、自分とも他人とも今よりずっと余裕を持った関係を築けてたと思う。
誇れる仕事があるとか、愛する家族が側にいるとか、何かに打ち込んでるとか、夢に向かって努力してるとか、誰かのために働いているとか、思想も信念もプライドも何もないのに、ついでに言うとお金も安定した仕事もビザをどうやって更新するかという具体的な計画すらないのに、毎日が感謝の気持ちで溢れてた。雨上がりの葉っぱに溜まったしずくを見たり、紫色に染まる空を見ながら岩の上を歩いたり、芝生の上でポークロール食べるだけで。
そういうことに感謝できる自分自身とその環境に心から感謝してた。誰に教えられたわけでもないのに。ヨガの先生たちが繰り返し教えてくれる「感謝」することの大切さを思う時、僕はいつもあの頃の輝いてた日々を思い出す。具体的な対象にではなく、ただそこにあるだけの「感謝」という感覚を。